作品名
 
作者
10-724氏





 二人の身体の間は汗でどろどろになっている。
 汗をかいてるのは俺だけかも……いや、長門もうっすらと汗をしぶかせてる。
 コイツも汗かくんだな。なんだかそれだけで嬉しくなってくる。


 抱き合ったまま、俺は長門を身体の上に抱え上げる。
 体重をかけたらつぶれそうなくらい細いからな。長門は。

 俺の身体の上で、長門は囁くような小さな声で言う。

「ずっとあなたのことを考えていた。あなたが成長し老化したらどんな姿になるのかと」
「顔や声がどんな風に変わるか、シミュレーションしてみた。条件を変えて何度も計算した。
97.5%の確率で合っている筈。それが確認できないのが残念」

 全裸で抱き合いながら、部室の窓から空を。月を見上げる。
 奇妙な色のついた月。一万二千年の間に変わってしまった月。
 長門は、この月の変化をずっと見ていたのか
 そう考えると胸の奥が痛くなった。



「そういえば長門。三つ目の願いはなんだ?」

「あなたが元の時間線に戻ったら――」
 長門は珍しく、言い辛そうにしている。
「……私に優しくして欲しい」
 なんだって?
「もちろん強制するつもりはない。
 それにあなたと涼宮ハルヒとの関係も悪化させるわけにはいかない」
「強制されなくたってそうするさ」
 俺は考えるまでもなくそう応えていた。


 長門の唇は動き続ける。
「一万二千年の間、ずっと考えていた。あなたのことを考えるたびに覚える感情がなんなのか」
 そう言う長門の表情は嬉しそうだ。
「さっき判った。私はあなたのことが好き」
 …長門。お前、笑えるようになったんだな。
「それは一万二千年前から変わっていない。ただ気づかなかっただけ」
 そう言っている長門の顔は明らかに微笑んでいる。
「気づくのに時間が掛かってしまった」
 なんて不器用な。そんな長門がただ愛しい。


 数時間もそうして抱き合っていただろうか。
 無常にも時計の針は12時を過ぎていく。

 長門の身体は薄く発光を始めた。
「視覚情報が停止した」
 長門、お前目が?
「あなたが、もう見えない」
 虹彩の消えかけた瞳が俺の顔の彼方で焦点を結んでいる。
 拡散を始めた長門の掌が俺の頬を撫でる。
「長門! おい長門!!」
「消失するのは怖くはない」
 焦点の合っていない目で俺を見つめながら、長門は囁く。
「情報を失うことに恐怖はない」
 こくりと長門の喉が動く。
「ただ、あなたに対する思慕が失われることだけが……哀しい」


 驚くべきものを目にした。
 長門が、泣いている。
 もう見えない目からぽろぽろと涙を溢れさせている。

 違う!俺が幸せにしたいのは過去の長門じゃないんだ。今現在の、長門有希。お前なんだ。
「あなたが元の時間線に戻るのはあなたが消失して三日後のこの場所」
 長門はそう離し続ける。見えない目で俺を見つめながら。
「過去の私はあなたが消失して心配しているはず」
 なんで。なんでそんな、柔らかく微笑めるんだよ!?
「会って私の心配を解消してあげて欲しい」
 澄んだ笑顔が俺の心臓を撃ち抜いた。
「な……長門っ!……有希っ!!!」
 俺は初めてコイツの名前を叫んだ。
 そのとき長門の顔に浮かんだ表情を、俺は決して忘れないだろう。
 なによりもキレイで、純粋で、無垢な微笑み。
 まっすぐに俺に向けられた微笑が俺の視界を覆い尽くす。


 長門の唇が動く。ものすごい速さで何かを唱えている。
「なんだって?」聞こえない。
 長門の唇がまた言葉を紡ぐ。
「あなたは泣かないで。笑っていて」
 長門の頬の上に俺の涙が落ちている。

 なんでだよ。なんで長門が、消えなきゃなんないんだよ。
 せっかく何世紀も、何十世紀もの孤独を耐えて待ってたのに。



 微笑を浮かべる長門。
「俺はお前が好きだ! 何度だって言ってやる、好きだ! 好きだ長門!」
 そう言ってやると、長門はぎこちない薄い笑みを浮かべる。

「長門……有希……有希……」
 そう俺が囁くと、長門は目を閉じて唇を軽く突き出す。
 俺は迷うことなく、その唇に自分の口を押し当てた。
 唇だけが触れ合うキス。
 熱い。熱い。唇が灼けそうなほど熱い。

 腕の中の感触が淡くなっていく。消え去っていく。
 肌に感じていたぬくもりがなくなる。
 そして俺の唇に熱だけを残して、長門有希は空気に溶けるように消失した。


……

 泣いた。啼いた。嗚咽した。子供のように。赤ん坊のように。
 どうして。どうして長門がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
 まるで渋谷駅前の銅像の犬みたいに、永遠に近い時間を。俺を待つためだけに。
 俺はまるで壊れた蛇口のようにボタボタと涙を流して長門のために泣いていた。


 一時間もそうしていただろうか。
 帰りたくはなかった。
 そうすることで、長門の一万二千年が一瞬で無意味なものになってしまいそうで。

 でも、この世界には長門がいない。
 戻った先の過去には長門がいる。俺を救うために一万二千年間孤独に耐えてきた
あの長門ではないけど。
 だから俺はアイツに会いに行く。
 不器用で、愛らしくて、いじらしいアイツに会って。
 アイツは一万年以上も待ち続けた長門ではないけれど。
 それでも、俺は俺に出来る全てのことをしてやる。
 それが長門の、一万二千年も俺の事を待ち続けてくれた女の子に応えてやることじゃないか。



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 深夜の文芸部室。
 窓の外を見る。街灯が転々と道沿いに並び、遠くの町の明かりがうす曇りの空を
ほのかに照らしている。

 戻ってきたのか。元の時代に。
 荒く溜息を吐く。
 部室の空気が冷たい。
 俺は戻ってきてしまった。
 長門を犠牲にして。
 俺にそんな価値があるのか?
 長門が、ひとりぼっちで一万二千年も待っていてくれるような価値が。


 一人きりだと思っていた部屋の片隅から声がする。
「あなたはいつから来たの」
 うわあぁぁっ!?

 この時代の長門有希が、パイプ椅子に座って俺の事を見ている。



 ついほんのすこし前に。この時間軸で言えば一万二千年後に。
 俺の腕の中で拡散して消失した長門がそこに座っていた。
 同じ瞳の色。同じ無造作なショートカット。同じ真っ白な頬。
 でも浮かぶ表情は同じではない。
 普段通りの、無表情な宇宙人製アンドロイドがそこにいた。

 この長門は不思議そうに俺の顔を眺めている。


 コイツは長門だけど、あの長門じゃない。
 そういえば……アイツはなんて言っていたっけ?
 最後の願いの言葉が脳裏に蘇る。
 口調も、表情も、全てが鮮明に。

「長門」
 俺は長門の両肩を掴むと、顔を覗き込むようにして言った。
「今からする俺の行動がイヤだったら、言ってくれ」
 心なしか見開かれたような気がする瞳で、長門は無言で頷く。


 しっとりと、薄くて柔らかい長門の唇に口づける。
 長門の唇は冷たくて。しっとりと、ひんやりとしていた。
 なんだかキスしてるだけで熱が長門の唇に移っていくようだ。


 
「長門!?」
 くたりと力が抜けたように崩れ落ちる長門。
 長門は熱病にかかったかのようにぴく、ぴく、と身体を痙攣させている。

「おい、長門?! 大丈夫か?」
 熱に浮かされたような表情の長門は俺にしがみつくように抱きついてきている。
 熱い吐息が胸元に掛かる。
 吐息?
 顔色一つ変えない長門が?

 俺は長門の顔を覗き込む。
 少しだけ違った瞳の色。
 その長門が俺の顔に近づく。
 唇が俺の唇に押し当てられる。



 唇を割って入ってくる長門の舌。
 薄くて、でも熱い長門の舌が俺の歯茎を舐めあげ、歯をこじ開けて舌の裏側をくすぐり……


 長門……?
 なんで?
 このキスは?

 俺の感覚では数時間前の、一万二千年後の北高の旧校舎で交わしたキスと同じキス。
 必死に長門の身体を引き剥がすようにすると、俺は疑問を口にする。

「お前…あの長門なのか? 一万二千年、ずっと待っててくれた長門なのか?」
 長門はちょっとだけ考え込むようなそぶりを見せると
「厳密に言えばそうではない。私はこの時間線の私自身」
と、そう答えてくる。
 そう言う長門の……表情には微妙なゆらぎがあった。

「あなたの唇に込められていた一万二千年分の「私」の記憶と同期させてもらった」
「……唇?」
「一万二千年後の私は一万二千年間の記憶を外部化しあなたの唇の上にそれを一時的に固定化した」 なんのことだ?
「キス」
 真顔でそう言ってくる長門の唇をついマジマジと見てしまい俺はドキリとする。
「未来の私はあなたの唇に、一万二千年間の記憶を乗せた」

 そうか。最後のキスの熱い…感覚は、長門の記憶だったのか。


 長門の説明によると、俺がこの時間線に戻ってから三十分以内に触れた異性の唇が
長門のものだった場合にのみ、情報転移は発動するのだそうだ。
 なんなんだその条件は。

「じゃあお前は……どっちの長門なんだ?」
「本質的には同一。未来の私はより多くの情報を元に思索を重ねたという違いしかない」
 安心した。
 長門の一万二千年は無駄にはならなかったんだ。


「ごめんな……長門」
「謝らなくていい。最後にあなたに会えて「私」は幸せだった」
 ほんの一時間前に消失した長門がそこにいた。
 かすかに緩んだ口元は、お前笑ってるのか。

「たとえ消失するとしても」
 どことなく恥らってるような口調で。その口調も可愛いぞ。
「幸せな記憶を喪いたくなかった。だから私はあなたに自分の記憶を託した」


 あの長門はいないけど、あのときの長門はこの長門で……
この長門はあのときの長門?長門でありながら長門で……
だんだんわからなくなってくる。

「あっ?! じゃ、じゃあ、あ、あのこと……も……覚えてるのか?」
 あのとき、腕の中でかわいく悶えた長門の表情を思い出してしまい俺の顔は真っ赤になる。
「あなたとのセッ「わわああああ」
 慌てて遮る。女の子がそんなこと言っちゃいけません。
「……情交のことならば、記憶している」
 いやいや言い直せばいいってそういう意味じゃなくて。


 まあ、いいんだ。あの約束はまだ有効だからな。
 俺はお前の事が好きだ。
 お前の事を幸せにしてやりたい。
 俺に抱きしめられて幸せを感じるんだったら、いくらでも抱きしめ続けてやる。
 いやむしろ、抱きしめさせて欲しい。


「あなたに言っておくことがある」
 なんだ?
「あなたの唇は莫大な量の情報輸送因子に汚染されている」
 ……なんだって?
「一万二千年後の私は一万二千年に渡る「私」の思考記憶感情の生データに多次元圧縮を掛けて
あなたの唇の粘膜細胞に移植した。その大部分は先ほど私が摂取したが一部のデータが未だに
粘膜細胞には残留してしまっている。……通常ではありえないほどの高密度データは
通常の人間にも影響を与えてしまう可能性がある。
もし普通の人間が粘膜での接触を図ろうとした場合、人間では処理しきれないほどの
情報流入を受ける可能性がある」

 それって、具体的にどうなるんだ?

「わからない。ただ、あまりよい影響を与えない事は確か」

 これって、いつかもとに戻るのか?

「それもわからない。ただ、私と繰り返し接吻を交わす事により
あなたの唇に残る情報データの密度を薄くする事は可能」



 ……なんだか読めてきたぞ。可愛いじゃないか長門(未来)。
 俺と沢山キスしたくて、俺を独占したくて、そんな呪文を俺に掛けてくれたのか。
 そう考えると胸の中心あたりがほっこりと暖かくなってくる。


 長門はロッカーを開けると中から文化祭のときに手芸部から強奪した毛布を取り出す。
床に敷く。敷き重ねる。長門さん何をやってるんですか?
「私にはあなたとの情交の記憶はある」
「ああ」
「でも私自身の経験ではない」
「……そうだけど」
「私は記憶ではなく実体験として体感したい」

 おい長門。毛布の上に何を敷いているんだ?
「校旗」
 ……。
「清潔だから安心して欲しい」
 そういいながら長門はカーディガンのボタンに手を掛ける。



 ちょっと待った!



 俺はどうしたらいいのかを知っていた。
 だから長門のちっこい掌を掴んで、こう耳元に囁いてやる。


「長門。俺にお前のセーラー服を脱がさせてくれ」



終わる
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