作品名
涼宮ハルヒの昔日
作者
河童川流氏




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再接合を試みようとする目蓋をどうにかこじ開けていると、ようやく視覚神経が可動し始めた。

滲む視界にはポニーテールの小さな頭。

頭の右片方にぶらさげたそれが勢いよくバウンドしている。

髪の先端に併せて俺の腹部に衝撃が走っているところから、加害者はコイツで確定だ。

「キョンくんキョンくん! 起きて! 朝だよ!!」

「…おまえなあ〜」

文句を言いかけて俺は口を噤む。

俺の腹の上に、まるでトロイ遺跡を発掘したかのような無邪気な笑顔が乗っていた。これを見ると、どうにも怒りが拡散しちまうのは仕方ない。

「んで、どーしたんだ、朝っぱらから…」

目を擦りながら俺は訊いた。久方ぶりの休日だ。別段早起きする予定はない。そもそも寝たのは明け方近くだ。

「うーんとね、ハルヒちゃんがね朝ご飯だから起こしてきて! って」

そう告げて、コクンと可愛らしく首を右に傾けると、ポニーテールの先端が肩につく。

「分かった、今いくよ…」

クシャッと頭を撫でてやると、たちまち小さな片ポニーは寝室を飛び出していった。

俺もゴロゴロとベッドから転がり落ちて、起きることにする。

そのプロセスで枕元の時計を見れば時刻は7時。うお、二時間半しか眠ってねえ。

かの皇帝ナポレオンだって3時間眠ってたというから凡人たる俺が眠くてしょうがないのは当たり前だ。

まだ温もりの残るベッドに未練が募ったが、ここで二度寝なんぞしようものならハルヒ御大将みずからご出馬なされるのは明々白々。

情け容赦のないフランス革命直前の税務官の如く布団を剥ぎ取り、ドイツを統一したプロイセンの首相のように俺に鉄拳を振り下ろしてくれることだろう。

仮に叛乱を起こしたとしても俺に勝ち目はない。無駄なことを諦めて、どうにかベッド脇に立ち上がる。

途端にぐらりと立ちくらみがした。身体も鉛の鎧を着ているみたいに重くて、疲れが抜けてないのがはっきり分かる。

アルプス越えを敢行したハンニバル軍だってこれほど疲弊してなかったんじゃないかと思ったね。

よろつきながら寝室を出て階段を下る。


カーテンどころか窓まで全開のダイニングキッチンは光に溢れ、容赦なく俺の瞳孔を縮小してくれた。

ハレーション現象を起こしていた流しの前あたりがようやく輪郭を伴って行く。滲み出るように視界に映った見慣れた後ろ髪が翻ってこちらを向いた。

「あ、おはよう、キョン!」

「ああ、おはよう…」

欠伸をしながら応じた俺は、既に食卓の上に用意されていた野菜ジュースを一口飲む。

じんわりと青臭い甘みに続いて、ようやく脳みそが回転を始めた。

「親父とおふくろは…?」

俺は続きのリビングを見る。キッチンの他に家に人の気配がさっぱりない。

「なにいってんのよ、二人とも昨日から旅行中でしょ?」

ハルヒの鼻歌交じりに、じゅうじゅうと油で何かを揚げている音と芳ばしい匂いが朝の空気に混じる。

「そうか、そうだったな…」

親父たちが数日前から町内会の旅行だなんだと支度してたのを思い出す。

俺は夕べ帰りが遅かったから気づかなかったわけだ……って、ハルヒよ、お前はさっきから何やってるんだ?

「はい、ごほーびよ。熱いから気をつけてねー」

ちっこいのに渡してるのは唐揚げかよ? 朝っぱらかちとヘビーすぎないかね、そのメニューは。


「アンタね、まだ寝ぼけてるわけ? 約束忘れたわけじゃないでしょうね!?」

エプロン姿で腰に手をあて菜箸片手に睨んでくるハルヒ。

約束? はて約束ってなんだっけ?

首を傾げ、コップのジュースを一口飲み、直後俺は顔にけばけばしいペイントをしたプロレスラーのようにそれを噴きだした。

「ハルヒ、ちょ、おまっ!!」

ゲホゲホとむせながら、俺は思わずハルヒを指さしてしまう。

「キョンくん、行儀わるいゾ!」

タオル片手にいってくるチビを無視して、今さらながらハルヒを凝視しちまったのも無理はない。

エプロンから伸びた長い手足は散々見慣れてはいたが、剥きだしの肩と胸元となれば朝日の中で拝むのはさすがに非道徳的だろう。

ん? という感じでペリカン唇のまま首を傾げるハルヒにあわせてエプロンが揺れ、チラリと脇腹が覗く。そこも目に眩しいくらいの素肌だった。

結論。

このバカ、朝っぱらから裸エプロンなんていう成人指定ぶっちぎりの雑誌や漫画にしかないシチュエーションを演じてるわけじゃないだろうな?

よりにもよって、ハルヒだけにその予想が否定できない。なにせビラを配るだけで恥も外聞も躊躇いもなくバニーガールの衣装に袖を通すヤツである。

俺がハルヒがこの奇矯に及んだ可能性と理由を模索してるうちに、当の本人はこちらの困惑に気づいたらしい。

「あ、この格好のこと?」

止める間もなくくるりとその場で一回転。

必然的に剥きだしの背中とお尻が俺の目前へと晒され―――それらの至極羞恥的な場所はセパレートの水着で覆われていた。

「…なによ? もしかしてアンタ、勘違いしてた?」

俺の茫然とも呆れともつかぬ表情から察したのだろう。イヒヒと笑うハルヒに俺は慌てて首を振る。

「あのな、水着にエプロンって組み合わせはどういう了見なんだ、おい」

「なによ、やっぱり裸にエプロンの方がいいんじゃない」

「じゃなくてな…」

呆れる俺にハルヒは冗談よ冗談と菜箸をプラプラさせて説明してくれた。

「今朝起きてね、どんな水着着ていこーかなーって色々試着したりしているうちに、朝ご飯の準備の時間になったわけ。
 だから、この格好の上にエプロンを着て料理してるって寸法よ。これにてQOD! 」

なるほど、ならば納得―――って、なにがQODだ、そもそもがなんで朝っぱらから水着を選ぶ必要があるんだ?



言いかけて、俺はすぐ隣で揺れる片ポニーに気づく。

「キョンくん、これ膨らませてー」

ちっこい手にはアニメキャラがプリントされた浮き輪。

ようやく俺は思い出した。そういえば、今度の休みにみんなで海に行こうっていったなあ…。

ならば朝っぱらから唐揚げなんてものをせっせとハルヒが揚げているのも納得がいく。

更によくよく見ればテーブルの片隅にでっかいバスケットあるではないか。お出かけ用スペシャルのその中には、既にサンドイッチやらおにぎりやらが格納され ているに違いない。

「…膨らませるのはまだ早いよ。海水浴場に着いてからでいい」

「え〜」

頬を膨らませるチビすけを俺は抱え上げた。続いてその顔を覗き込む。

全く憎たらしいほどハルヒと同じ顔だ。唇を尖らす姿なんぞそっくりである。

今さら説明するわけでもないが、コイツが俺とハルヒの娘だ。前述した通りハルヒ似である。

自分でこういうのもあれだが、遺伝的にも明らかにハルヒの方が優性なのだろう。

あんな迷惑な遺伝子など希少性はともかく劣勢として淘汰されるべきだと思うが、ホルダー本人のバタイリティを鑑みる限り、まともに太刀打ちできる類ではな さそうだ。

現にまず外見で俺は敗北しているし。

ただ、性格も行動原理も準ずるかは今のところ判然としない。こちらの造作の方には大いに俺の遺伝子に奮闘していて貰いたいところだが、将来的にはどうなる ことやら。

まあ、丸々ハルヒのコピーなんてことは遺伝子学的にもあり得ないはず。

従って俺の心配も杞憂だろう。将来的に隔世遺伝って可能性も否定できないが、さすがに俺も子々孫々の世代までの責任は取れない。

未だペリカン顔のチビすけの脇をくすぐってやる。

「きゃはは、やめてよ、くすぐったいよ、キョンくん……!」

…俺のことをパパと呼んでくれたのは、まだ言葉もおぼつかないハイハイ歩きの頃だったな。

それがアウストラロピテクスのように二足歩行に移行した頃にはもうキョンで呼び名が定着していた。

周囲の環境もあるだろうが、誰よりも積極的に刷り込んだ犯人は記すまでもないだろう。

その主犯自体、自分のことをちゃん付けで呼ばせているあたり、どうにも差別を感じてしまうのは俺だけだろうか?

「いいじゃないのよ。あたしたちまだ若いんだし」

おまけにヌケヌケとそんなことを言う。


…そうだな、ハルヒ。俺も高校に入っておまえと出会った上に超能力者に宇宙人に未来人と遊び倒した挙げ句、未成年のう ちに結婚することになるとは夢にも思わなかったよ。

ようやく娘は小学校に上がるって頃だが、俺たちは確かにまだ若い。

正直、今の環境は嫌じゃない。むしろ気に入っている。

だけど、これがおまえが本当に望んだ未来なのか…?

『収束に伴う安定。僕らにとって、これ以上望むべきもない結末ですよ。…いやハレの席で失礼しました。とにかくおめでとうございます』

と古泉。

『残念だけど…………おめでとう』

長門はそれだけ。後は無言。そういやさすがに式場にまで本を持ってきてなかったな。

対して、感極まりまくりなのが朝比奈さんだった。

『ひぐっ、ほんじつは、おひがらも、ぐしっ、よく、キョンくん、おめでとぉ〜〜うえぇええんん〜』

折角めかし込んでいるのに泣きじゃくっていたのは、披露宴であられもない格好の出し物をハルヒから強要されていたのも関係あったと思う。 

三者三様で俺たちを祝福してくれた仲間たち。ついぞハルヒだけがその正体を知ることはなかったわけだが。

「ぼーっとしてないで、ちゃっちゃとご飯たべちゃってよ、キョン!」

気づけば、目前にハルヒの顔がある。

チビすけを抱えたまま、どういうわけか俺はハルヒの目を覗き込んでしまった。

「…何見てるのよ」

ハルヒが遠ざかる。追従するように腕の中のチビすけも逃げ出す。

チビすけのポニーの先端を捕まえ、ハルヒから視線を逸らした俺は、誤魔化すように言った。

「やっぱりポニーテールったら正調のヤツだろう。こんな偏ったのは邪道だ」

逃げだそうとする娘の頭を抱え込み、ゴムバンドを外して髪のまとめ直しを試みる。

「あー、だめだってば! この子にはそれが一番似合うの!」

「うわーん、ハルヒちゃん、キョンくんが苛める〜」

大小同じ顔の上目遣いでこっちを睨んできやがる。

降参という風に俺は両手を上げてハルヒを見た。



「だったら、お前がポニーテールにしてくれよ」

俺の趣味を知ってるくせに、結婚してからハルヒのポニーテールを鑑賞できたのは賞味一年もない。

妊娠しているときこそ髪を伸ばしていたのだが、出産してすぐバッサリ切りやがった。

その後は頑ななまでにSOS団発足時の長さをキープしてくれている。

ポニーにするには中途半端な長さなのはいうまでもない。

「…そうね、そのうちにね」

なんとも歯切れの悪い返事だったが即座に二撃目が来た。

「そんなことより、さっさと着替えて準備しなさいよね!!  家を出るまで日が暮れちゃうわよ!?」

「へえへえ」

ヨタヨタとバスルームへ向かった俺は、やけどするようなシャワーを浴びた。

俺が車を運転するにせよ、ハルヒが運転するにせよ、悠長に寝かせてもらえるわけがない。

精々気合いを入れて起きてなくちゃな。

脱衣所に出て、髪を乾かし髭をあたる。

鏡に映る自分は、昔に比べたら成長したのだろう、間違いなく。

もちろんハルヒも変わったはず。あまりに一緒にいすぎると微々たる変化には気づきづらいとはいうがね。

それでも。

先ほど覗き込んだハルヒの瞳を思い出す。

アイツの瞳だけは、昔と変わっていなかった。

放課後、部室棟に集いバカばっかりやっていたころと同じ瞳。

あの頃が一番楽しかったのは間違いないだろう。

俺と一緒になった今になっても過ぎ去りし昔日と同じ瞳のままでいてくれているのなら。

今の生活も満更じゃないと多少自惚れてもいいだろう?


〜終わり











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