作品名
 
作者
9-27氏




 夕日が部活棟を真横から貫き、赤い光に射られた室内が、ぼんやりとした霧に撒かれたように薄暗くなっていた。
 文芸部の部室には、俺と長門だけがいる。俺は床に膝をつきなががら、長門のスカートの裾をゆっくりとめくりあげていた。
 長門は何も言わない。糸で吊られているかのようにまっすぐと立っているだけだった。

 青い裾を持ち上げていくと、シャツの裾と真っ白なショーツが目に入った。
なんの飾り気もない下着が、逆光を受けて輪郭をぼかす。
「白……か。似合ってるぞ」
 軽い膝の痛みを感じながら、俺は上目に長門の顔を見上げた。長門は、黒く底の見えないほど深い瞳で俺をじっと見ている。
 何も言わなかった。長門の瞳はずっと見つめているには刺激が強すぎる。
 

 もう一度、長門が履いているショーツに目を移す。肌触りのよさそうな素材だった。
少なくとも、俺のトランクスよりは柔らかそうだ。
「……楽しい?」
 長門が小さな声でそう尋ねる。長門には、俺が何故こんなことをしているのかよくわかっていないんだろう。
 俺にもよくわからないが。

 ああ、ハルヒが言ったんだっけ。ねぇキョン、有希ってどんなパンツ履いてるのかしら、とかなんとか。
 どうでもいいことだと思ったが、気にならないわけではなかった。
そして、長門なら頼めば見せてくれるんじゃないかという気もしていた。
 
 皆が帰った後の静かな部室。もう誰もいないと思っていたこの部室に、まるで俺が来ることを知っていたかのように
長門が、いつもの場所でいつものように本を読んでいた。
 俺の気がおかしくなったとしたのなら、この時間帯のせいかもしれない。現実感の薄い、夕日に照らされた世界。
 わずかな眠気を感じながらも、意味もなく心のボルテージは上がっていた。


 どうせロクな返事もしないとわかっている長門に、俺はひたすら話しかけていて、長門はいつものように短い返事を数度 返すだけ。
 長門になら、何を言っても許される。そんなあやふやな確信と、酷い自己中心的な考えが俺の中に芽生えていた。
 
 俺たち以外、何も存在しないんじゃないかと思えるほど静かな場所だった。
隣のコンピ研もとうに帰宅しているだろうし、俺だってこの時間帯なら自分の部屋でゴロゴロしながら夕飯を待っている頃だろう。
 正常な思考さえ持ち合わせていたら、きっと言わなかっただろう。

 こんなこと言っちまったんだ。
「長門、お前のパンツ見せてくれ」
 なんて答えるだろうか。そう、とか断るとか、いつもと同じ短い返事。
「いい」


 その時、俺は確実に興奮していた。長門がいいと言った。
 高揚する自分の心を、長門の持っていた本程度の重さで抑え付ける。
 長門を立たせ、俺は跪き、長門のスカートに手をかけたんだ。

 もっとよく見せてくれとばかりに、俺は両手で長門のスカートをめくり、長門の腰上あたりで固定する。
 白い布が、やわらかそうな体を包んでいる。

「長門……、お前の体って、普通の人間と変わらないんだよな?」
「少なくとも、外見上は変わりないと思われる」
「そうか……」
 言葉を紡いだ俺の股間は、普段では考えられないほど強く張り詰めていた。
 
「な、なぁ。触ってもいいか?」
「あなたが好きなようにすればいい」
 どうとでもとれる発言だった。頭の芯が、風呂上りの指先のようにふやけていた。
 なんで俺はこんなことを言ったんだろう。俺は、こんなことを言い出すヤツだったんだろうか。
「じゃあ、俺はお前を俺の好きにさせてもらう。嫌だったら、嫌って言えよ」


 俺はゆっくり立ち上がると、長門の体をゆっくりと反転させて後ろから抱きしめた。
 驚いたのか、長門が薄く唇を開けているのがわかった。小さな体だった。
 壊れてもいいと思うほど強く、長門の体を抱きしめる。もう肌という肌を触れ合わせていたかった。
 
 暖かい。

 傍目には、羽交い絞めにしているようにしか見えないかもしれない。抱擁にしては荒々しい。
 けれど俺は、長門の体を抱きしめることに強い興奮を覚えていた。
「長門……」
 覆い被さるようにその体を引き寄せる。俺の張り詰めたモノが、長門の腰に押し付けられていた。
 自然と息が荒くなる。喉の渇きが強い。長門を求めている行為自体に、渇きのようなものを感じていた。
 どれだけ強く抱き締めても、渇きは癒されない。なのに、俺はというと馬鹿みたいに熱い息遣いで長門を締め付けるだけ。


「キスしたい。いいか?」
「私は言った。好きにすればいいと」
「そうかよ」
 一度長門の体を開放すると、再び長門の体を俺のほうへ向かせ、そのまま机の上に押し倒した。
 優しさのカケラも無い口付けを始める。目を閉じようとする時に、ふと目が合った。
 少しの驚きが瞳に浮かんでいるのを、俺は見逃さなかった。

 長門の唇を吸う。舌を無理やりにねじ込んだ。唾液を吸いたかった。
 俺は長門の手を取って、絡め合わせた。俺だけが強く手を握っている。長門は応えてはくれなかった。
「長門……長門」
 馬鹿みたいに名前を呼びながら、俺は唇を味わっていた。


 夕日が沈むのは早すぎる。ほの暗い部室の中で、俺たちの体が少しずつ夜に溶かされていく。
 俺が何故こんなに長門を求めているのかが、少しずつ理解できるようになっていた。
 単純な話だった。俺は、長門に甘えているんだ。

 普通なら、こんな俺の身勝手な望みを一蹴してしまえばいいだけだ。それを許してくれる長門。
 俺だって誰かに無茶なことを言って、望みを叶えようだなんてことを思いもしない。何時からそうなったのかはわからなかった。
 思えば、母親にさえロクに甘えたような覚えも無い。
むしろ俺は、自分よりも幼い相手に甘えられることのほうが多かったし、そうやって世話を焼きながら人と関わっていくものだと
思っていた。
 けれど長門は、俺がどう足掻いても超えられないだろう相手で、弱みを見せることもなく、今まで世話になった恩を
どうやって返せばいいのかもわからない相手だった。

 体を起こし、俺は長門の制服のリボンに手をかけた。それが何を意味するのか、長門に理解できるんだろうか。
 長門の表情は乏しく、今でさえ無表情にしか見えなかった。
俺の唾液が、長門の口の端にひっかかって、地上に残ったわずかな光を受けて艶かしく濡れていた。
 一度だけ、俺は唾を飲み込んだ。飲み込んだ唾の中に、長門の唾液も混じっていたかもしれない。
 黒い瞳を見下ろしながら訊いた。
「長門……、いいか?」
 ベロシティを限界まで上げた俺の鼓動が、何度か拍子を刻んだ。

「私は言った。好きにすればいいと。もう、言わない……」



 自分の脈動で酔いそうな気分だった。目の前には、机に押し付けられた長門の姿があった。
 地球上の誰にも負けないほどの力を持っている長門が、俺に組み敷かれるようにしてじっとしている。
 何をしてもいいのだろうか。俺が望むように、長門を襲ってしまっても。
 長門がその気になれば、俺を一瞬で跳ね除けてしまえるというのに。

 少しずつ長門の顔が闇に覆われていく。荒い息が俺の口から情けなく溢れていた。
 長門の腰に両手を回す。制服の間に手を差し入れて、白い肌を見るためにブラウスをスカートから出し、すっと上へずらしていく。
 冷たく見えるほどに白い肌が、俺の視界で面積を増す。やがて長門の胸の上まで服をまくりあげた。
 さして硬いブラをを必要としないのか、ワイヤーも入っていないような布製のブラが見えた。
ふらふらと、吸い込まれるように俺は長門の胸の谷間に顔をうずめた。
 犬のように情けなく息が漏れた。両手を長門の背に回して、ブラのホックを外す。

 長門は何も言わずに、俺のされるがまま、人形のように体を弛緩させていた。
 ブラを上へずらすと、大きいとは言い難い胸があらわれる。
重力のせいで少し潰れたその胸は、体の両脇へ落ちようと外を向いていた。
 こんなに近い場所から女の胸を見るというのが初めてだった。

 手で触りたいとか、そういったことはまったく考えていなかった。
ただ、長門とひとつになりたいとでもいうような気持ちだけがあった。
 体という体をすりあわせていたい。俺は長門の胸の先を吸いながら、長門の体を抱き締める。
俺のさして広いともいえない胸板で、長門の腹部を圧迫する。
 胸から口を離すと、俺は再び長門にキスをした。無感動な長門の表情を見ないよう、目を閉じて夢中で唇を貪る。
 長門の背に手を回して、ぐっと引き寄せる。俺は股間の張り詰めたものを、長門の股間に擦り合わせた。
服ごしだったが、直接的な刺激で快感が体を燃え上がらせる。
 両足を開いている長門。股の間に俺の体を無理やりにねじこんで、腰を触れ合わせる。


「有希……」
 唇を離せば、長門の名前が俺の口から漏れる。何度目になるのかもわからない口付け。
 無理やりに舌をねじこませようとすると、向こう側から何かが迫り出してきた。
何が? すぐに思いつかなかったのがあまりにもおかしかった。
 長門は自分の舌をおずおずと差し出していたのだ。頭が沸騰していた。何も応えてくれなかった長門の、小さな答え。
 
「有希っ」
 俺の唇はどうにかしてしまった。名前を呼んで、触れ合わせるためだけに存在しているかのようだった。
 頭の中でも有希、有希と叫び続けている。名前を呼ぶ度に、有希の体が熱くなっていくような気がした。
 差し出してきた舌を逃すまいと、絡め合わせる。口の中に残っていた唾液を、有希の口内へ流し込む。
有希は唾液を受け止めると、小さく喉を鳴らして飲み込んだ。
 
 こいつは、俺の頭を狂わせるためだけに生まれてきたんじゃないのか。




部室の中で二人きり。スカートをめくって、それから唇を奪って。
 抵抗もせずに、好きなようにすればいいと言った有希。
 俺は、こんな場所で、このまま行くところまで行ってしまうんだろうか。



 熱に浮かされたように、俺は有希のスカートをまくりあげ、晒された白い下着に手をかけた。
 このまま一気に脱がせようかと思ったが、解け残っていたわずかな理性が俺に制止の言葉をかける。
 一度、有希の顔を見た。有希はじっと俺の目を見つめていた。
その目が少し潤んでいるように見えたのは、きっと気のせいじゃなかった

と思う。
 有希の体を机の上に寝転ばせるようにして、腰を軽く浮かせた後、ショーツを引き抜いていった。
両足を揃えて、足の先から抜きさる。

 俺は目を閉じたってできるような、ベルトを外すという行為に手間取りながらも、自分のものをようやく取り出した。
 頭が痛い。なんだって俺はこんな場所で、こんなことをやってるんだろうと、現実感を手探りで引き寄せようと
していたが、結局尻尾さえも掴むことができなかった。

「……もう少し下」
「あ、ああ……」 
 鼓動が痛々しい。手を自分のものに添えて、ゆっくりと有希の体へ埋めていった。
 強い抵抗を感じながらも、先から溶けてゆくような感触に襲われ、最後は出刃包丁で骨を叩くように勢いよく貫いていた。

「うわ……」
 ひとつになっただなんて、よく耳にするような安っぽい言葉が頭に浮かぶ。まさにそれだった。
 8分ほどに俺のものを受け入れている有希は、本を読んでいる時となんら変わりないような無表情を貫いていた。
 

「有希……、その……あれだ。俺、お前のこと、かなり好きになっちまった」
 鼓動の数が指で足りなくなりかけた頃、有希が小さな声で、そう、とだけ言った。


 腰を振るのもそこそこに、俺は有希の唇を吸い続けていた。と、いうか腰なんか振り続けてたら、すぐに果ててしまう。
 今は何よりも、有希の体を抱き締めているほうが気持ちよかった。有希は相変わらず、ほんの少しだけ舌を突き出してくれる。
 絡め合わせた舌と、交じり合う唾液。
気がつけば、有希の下半身からも何か熱い液体が漏れ出ていて、それは俺の体を伝ってズボンに染みを作っていた。
 
 もうとうに日は暮れていて、部室は明かりさえ無い暗闇だった。有希の体が消えていく。
 響く音は、俺の熱い息と、舌を合わせるぴちゃぴちゃという音。

 思い出したように、俺は時々有希の胸をさすったり、腰を振ったりしていた。
長い間有希の体に溶けていた俺のものも、もう限界が近づいている。
 俺は有希の耳元に口を寄せて、囁いた。

「このまま、出すからな……」
 学校で習った避妊やらの知識なんか、太陽よりも遠い場所で沈みっぱなしだった。
有希が妊娠するのかどうかは知らないけれど、どっちにしたってもう止められない。

 ほんの少し、有希の締め付けが強くなった。
 それに合わせるようにして、俺は有希の体の中に放っていた。


 夜中に突然目が覚めた時とよく似ていた。不意に現実感が夜襲を仕掛けてくるのに、体も心もなかなかそれに対応しよう としない。
 俺は椅子にへたりこんだまま、しばらく片息を吐いた。
有希はのそのそと服を着ると、部室に備えてあったティッシュで自分の股間を拭
いていた。
 まるで見せ付けるかのように、机の上に座って、片膝を立てながら拭いている。
 有希の表情を伺うことはできなかった。暗かったし、もし見えていたとしても無表情だったと思う。
 今だけは、その無表情ぶりに自分勝手な苛立ちも感じてしまう。

 机の上に放り出してあったショーツを手に取ると、有希は床に降りて立ち、両足をするりと滑らせて履いた。
 スカートの中へ手を潜り込ませるという行動に、再び軽い興奮がこみ上げる。
 最後に、有希は自分の髪を手櫛で軽く整えていた。有希が自分の容姿に関することで気を遣っているというのが意外だった。

「これ……」
 有希はティッシュ箱を俺のほうへ寄越した。
 俺はというと、ズボンをだらしなくずり下げて丸出しのまま、戦い終えたジョーのように椅子に座っている。

「拭いてくれよ」
 何言ってんだ俺。アホか? バカか? いや両方だ。ついでに間抜けも加えとこう。
 自分勝手に襲っといて、その後始末までやらせようってのか俺は。
 軽い自己嫌悪に苛まれて、俺はティッシュ箱を受け取ろうと、手を動かした。

 それよりも早く、有希は俺の眼前で膝をついていた。ティッシュを何枚か抜くと、なんの躊躇もなく俺の股間に手を伸ばしてくる。
「あっ、おい」
 有希がゆっくりとした手つきで、一体なんだかわかんない液体に塗れていた俺の股間を拭いていた。
ゆっくりとした手つきで、丁寧に。
 睾丸の裏までティッシュを這わせ、腿の内側から、刺激で飛び起きた俺の硬いモノまで全部。

 おいおい、マジかよ……。
 仕え人のように恭しく膝をついている有希。上から見下ろすような形なので、ほんのわずかに胸元を見ることもできた。
 何故か意味もなく、有希の顔が俺の体に近い。
そのせいで、吐息が内腿をこすっていた。こうしていると、再び有希の暖かさが思い出されて、頭が変になりそうだった。


「終わった」
 そう言うと、有希は立ち上がり、ティッシュをまとめてゴミ箱へ放り込んだ。


 さすがにゴミ箱に行為の跡を残していくのは気が引けて、適当なビニール袋に入れて持ち帰ることにした。
帰りにどっかのコンビニのゴミ箱に捨てていこう。
 そそくさと二人して学校を出て、なんの会話もなく別れた。鞄に詰めた、行為の跡がいやに生々しい。
 有希と別れてからの帰り道で、急な高潮のように今までのことが思い出された。
 いきなりスカートをめくってだな、そのまま勢いで無抵抗な有希に襲い掛かってだな、んで中に出しちゃった挙句、後始末だとかいって股間拭かせて……。

 わずかに前かがみになりながら、俺は家へ辿りついた。




 夕食を食べ終えて、自分の部屋でごろごろしていると、有希のことばかりが頭に浮かぶ。
 そのほとんどが、今日エッチしたことだったりするが、それよりも何よりも、俺は有希のことを好きになっている自分に驚いていた。
 一応、ハイになってエロいことしてる最中に告白なんぞしてしまったが、よく考えれば返事を聞いていない。
 と、いうか人ですらない有希が一体俺にどんな返事をするというのだろう。
俺といつまでも一緒にいるわけにはいかないし、そもそもなんで俺が言い出したわけのわからんことを聞いてくれたのかとか、頭を思考だか煩悩がぐるぐる駆け 巡る。
 
「ああっ……有希っ」
 たまらなく胸が締め付けられる。アホらしい、なんだこりゃ、まるで恋する乙女じゃないか。
 考えれば考えるほど、有希の顔ばかりが頭に浮かぶ。そのほとんどが無表情だが気にしない。
「うおおおっ、やべぇっ俺やべぇよ。すげーやべぇ、むっちゃやばいって……」
 意味不明なことをうめきながら、ベッドの上で枕を抱いてゴロゴロする。

 ふと止まってドアのほうを見ると、シャミセンを抱いた妹と目が合った。
「キョンくんっ!! キョンくんがなんか変なこと言ってるっ!! おかーーさん!!」
「ダーーッ!! 待てっ!!」


 悶々とした夜。さっさと寝るに限る。
 そう思ってはみても、すぐ寝付けるほど俺の神経は安らぎを覚えてはくれなかった。
熱帯夜の夜のように、唸りながらベッドの上をごろごろと転がってみても、眠気は訪れない。
 夜の11時。まぶたを閉じると、有希の体が思い出される。
 俺は枕元に置いた携帯に手を伸ばした。せめて、有希の声を聞いてからなら気持ちよく眠れるかもしれない。
 しかしこんな時間に電話するのはどうなんだ……。しかも別に用事があるわけじゃない。
 けれど、好きな相手に電話して声を聞きたいと思うのは普通のことだよな? そうだよな?

 そう考えながら、携帯のディスプレイに映った長門有希という文字と、その下に並ぶ電話番号をしばらく眺める。
 ちょっとコールするくらい、別に構わないよな。有希が寝てれば、諦めよう。

 短いコール音の後、すぐに通話状態になった。
「もっ、もしもしっ?!」
 俺は飛び起きて、何故かベッドの上で正座をしていた。多分、高校受験の時の面接だってこんなに緊張してなかったと思う。
「……はい」
 コール音よりさらに短い、有希の声。落ち着いたアルトが、俺の耳に染み渡っていく。
「有希か? 俺だ。こんな時間に悪い」
「いい」
「その、なんだ……」
 なんのために電話したんだっけ?
 そうだ、用事なんか無かったんだ。

「いや、用事は無いんだけどな」
 何言ってんだ俺。有希も困ったのか無言だ。
 いつも無言だけど、電話越しだとまた違ったものに感じられて、そこらへんもなんかかわいいなぁって。


「そのっ!! 今から会いにいってもいいか?!」
「いい」
 あまり上等とはいえない俺の口から、わけのわからない言葉が間違って飛び出し、しかも何故かOKされた。
「いいのか?! じゃあ、今から行く。待っててくれ」
「わかった」



 ヒャッホウ! とか言って叫びたい気分だった。なにぶん夜なので我慢することにした。
 通話を終え、長距離走をした後のようにドコドコうるさい胸を撫でつけると、音を立てないように外へ出る。
 静かな夜だった。思ったよりも肌寒かったが、自転車で走ってれば気にはならないだろう。

 俺は逸る気持ちを抑えつけ、意識してゆっくりと走り出した。
チェーンがからからと音を立てながら、俺を有希のマンションへと向かわせる。
「ったく、落ち着けよ俺。別に有希に会うのはいつものことで、今更何をこんなに……」
 次第に足に注がれる力はどんどん大きくなっていき、いつのまにか立ち漕ぎで走り出していた。
 増してゆく速度と風の優しさが心地いい。静かな夜を猛烈な速さで駆け抜けて、俺は好きな女に会いに行く。






「上がって」
「おう」
 いつもと変わらない部屋に通される。今日ばっかりは俺の心臓も働きっぱなしでかわいそうだった。
 有希の顔を見るだけで、この胸は無駄に高鳴ってしまう。
まずは落ち着いて、重たいコートを近くにあったハンガーにかけさせてもらった。
 飛ばしたせいか、額に汗が浮かんでいたので、袖で拭う。

 そうしているうちに、有希は俺の分のお茶を用意していた。いつかのように、有希はコタツ机の前にちょこんと座っていた。
 有希がじっと俺の目を見つめる。あなたは座らないの? とでも言いたげだった。多分その通りだろう。
 俺も有希の正面に座り込んだ。蛍光灯の明かりが室内を照らし、寒々しいほど物の少ない部屋をわずかに暖めていた。
 すっと、俺の前に茶が出される。俺は湯飲みを受け取って、口をつけた。思ったより熱くはない。そのまま一気に喉へ流し込む。
 
「ふぅ……」

 息をついた後は落ち着けた。有希は空になった湯飲みに、またお茶を注いでくれる。
 再びお茶に手を取って、ちびちびと飲んだ。

 もう一度、溜め息のような息を吐き出した後で、ようやくこの部屋に圧し掛かっている沈黙に気づいた。
 そもそも俺は何をしに来たんだ。


 有希が柔らかい声で沈黙を押しのける。
「……なにか用?」
「用っていうかなんていうか。何しに来たんだろうな俺。ハハ」
「……」
 有希の顔がわずかに不快感を示したような気がした。
そりゃ、深夜にいきなりやってきて、なんの用事もないだなんて言われたら誰だって怒るさ。
 いやでも、有希が怒った顔をしたら、それはそれで可愛いかなぁ。そんなこと言ったら、有希なら何したって可愛いか。
でもやっぱ一番いいのは笑顔だよな。うん。見たことないけど。

 一人で妄想しながらにやけていると、有希がまた俺の目をじっと見つめてくる。
 俺はひとつ咳払いをして、出来うる限り真面目な顔を作った。

「その……、有希。俺、お前のことが好きだ。だから返事を聞かせてほしい」
「返事とは?」
「いや、だからほら。私もあなたのことが好きよ、とかお前なんか嫌いだとか」
「どちらでもない。ただ、私はあなたをとても重要な人だと思っている」
 言っていることはよく解らないが、別に嫌いというわけではないんだよな。

「その、なんだ。別に近づいてほしくないとか、見たくも無いっていうほど嫌いじゃないんだよな?」
 有希がいつものように、ほんの少しだけ頷いてみせた。

「じゃあ、俺にも脈はあるのか? 期待してもいいのか?」
「……何を?」
「そりゃ……なんだ?」
「知らない」
 そりゃそうだ。

 俺は有希に好きだと言った。その気持ちに嘘はない。
 けれど、その後俺はどうしたいのだろう。有希と何がしたいんだ。どういうふうに付き合っていきたいと思っているんだろう。

「と、とりあえず。俺はだな、お前のことが好きだ。好きだから、そりゃエッチなことだってしたいと思うし、一緒に、そうだな。
並んで本読んだりとか、二人で買い物に出かけたりとかそんなことがしたい」
 自分では自分のことを冷静なタイプの人間だとばかり思っていたが、全然そんなことはなかった。
しかも、エッチしたいって先に言うのはどうなんだ。
「いい」
「は?」
「あなたが望むのなら、私は可能な限り応える」
「……本気か?」
 また小さく頷いた。

「じゃあ、キスしていいか?」
 机に身を乗り出し、正面から有希の瞳を見つめる。ああ、かわいいなぁもう。
「……」
 気のせいか、有希の頬が少し赤くなったように見えた。驚いてもう一度マジマジと見てみるが、別に普段と変わりはない。
「……いい」
「キスだけじゃ済まないかもしれないけど、いいよな?」
「…………いい」
「もの凄く恥ずかしいことさせるかもしれないけど、いいんだよな?」
「………………いい」

 少しずつ三点リーダーが長くなっていく有希だったが、表情は変わらない。
 強いて言うのなら、わずかに瞳が濡れているような気がした。





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